男のやさしさ、男のロマン、それが夢を育てるんや

大阪府堺市にある有限会社・夢企画。

イベントのプロダクションではありません。三十六歳から五十歳の十六人のメンバーは、普通のサラリーマンのお父さんたち。職場も特許事務所、消防、大阪市役所、大阪府庁、毎日新聞、ミノルタ、東急車両、住友電工、私立高校などさまざま。

堺の北野田地域で、十数年間、ともに子供を育て、保育、教育、地域をよくする運動にたずさわってきたお父さんたちが山の家づくりを企画。
その運営のためにつくったのが、夢企画です。

モットーは「夢とともに生きるから」

第1話 別荘建てよか!

1991年7月。
堺市の北野田駅前の某飲み屋で、お父さんたちが飲んだくれておりました。
そのうちの一人がふと、「オイ、別荘でも建てよか!」と叫んだのが物語の始まり。

何度も話題になっていたことだったので、この一声ですべてが決まった。
みんな共働き家庭で、子供が小さい頃、保育所関係の夜の会議に出るのはいつもお父さんたちの仕事だった。

無認可の北野田共同保育所から始まり、自分たちの手で苦労してつくった麦の子保育園。
さらに公立の登美丘保育所、学童保育、堺市保育連。
長い人では十七年、子育てでつながってきた仲間たち。

家庭まるごとの結束は固い。
「自然とつきあおか。子供らを連れていって、いつでも遊べるとこをつくろや!」

9月、候補地を探しに五、六人で丹後半島へ。
目星をつけるようなところがなく、帰路立ち寄ったのが兵庫県一宮町の峰山高原。
別荘分譲地だった。

yumesansou

杉林に囲まれた南向きの一角。
「オイ、ここでええんちゃうん?」「そやなあ」「もっと他も見た方がエエで」

思案すること30分。

「ホナ、買おか」。
その場で手付金を払うことになったが、みんなの財布は空っぽ。
とにかく帰りの高速代と食事代だけを残し、かき集めたお金が一万円ポッキリ。

「これでいいでしょうか?」
とおそるおそる聞いてみたところ、OKの返事。
仮契約となった。

第2話 夢を買うんや

夢は三十人がゆうに宿泊できる三十五坪のログハウス。
「3000万円はかかりまっせ」と言われたが、保育運動で鍛えた交渉術を発揮した結果、2400万円に。

でも、このお金をどうするか。

あとで夢企画社長となるダーやん、駄田井一郎さん(41)が、「100万円用意できたもんから振込んでこい!」と呼びかけたところ、それで費用の半分が集まった。

この時点で山荘建設を決意し、有限会社・夢企画を設立。
ちなみに会社の目的は「青少年育成事業」。

それぞれが100万円をどうつくったかは、「聞くも涙、語るも涙。」
一晩かかっても語り尽くせないそうだが、教育ローンから借りた人や退職金を前借りした人・・・。

「100万円ドブに捨てる覚悟で」
という駄田井さんの呼びかけに異議申し立てをしたのが杉村昌夫さん(50)。

「これはドブに捨てるんやない。夢を買う100万や」。
そして、「足りなかったらこれ使うてくれ」
と出資金以外に200万円を差し出してくれた。

こうして生まれた夢山荘はバス、トイレ、台所完備で、ベランダでは野外パーティもできる。

朝、窓の近くの杉の木にキツツキがとまってドラミングしたり、林の中をリスが走ったり。

付近には、スキー場、ゴルフ場、温泉があり、山のふもとにはテニスコート、温水プール、パターゴルフ場も。
一宮町役場の好意で、町施設を町民資格で借りることもできる。

山荘を舞台に、子どもスキー、テニス教室、英会話教室などを行なってきたが、「子どもをダシに大人が遊んどるんや。」お父さん達はみんな、自称インストラクター。

また地元農家の協力で畑を借りて「夢農園」を営み、作物の栽培も子どもたちと経験。

夢企画では、この他にも、会員親睦のテニスや、子ども達と日本の大自然を見つめるために、夏は北アルプスを舞台に登山教室。冬は白馬乗鞍でスキー学校を開催している。

高野勝範さん(43)はこう話す。
「今思うたら100万円は安いもんや。100万円で別荘をもってるんやからな。みんなが利用でき、喜んでもろてるしな」

駄田井さん「山荘が建ったときに、もとはとったと、ワシャ思っとる。みんなでワイワイガヤガヤやったあの時、あの時間だけで100万円の価値はあった」

ただいま借金返済中。

「ひと山あてることは、いろいろ考えたけど、うまいこといくかいな」
「人間コツコツやらなあかんで」

今、毎月5万円の定収が入ってくる方法を思案中。

第3話 みんなでなら

3月3日、ひなまつり。

まだ冷たい春の夜、お父さんたちが集まってくれた。
場所は行きつけの料亭「虎里庵」。
グラスを重ねながら、これまでのこと、これからのこと、家族のこと、話がつきない。

みなさんにとって、夢企画の魅力とは?

麦の子保育園園長の豊田八郎さん(47)は、"麦の子"や地域の人たちでつくっている「アレルギー親の会」で夢山荘を利用している。なかなか旅行のチャンスがない食物アレルギーの子どもたちは大喜び。

「アレルギーの子を持つお母さんたちは姑とうまくいかなくてストレスがたまっていたりするんです。山荘にみんなで一緒に行くと、親がつながり合っていくことで子どもが育つってわかるんですよ」

お正月に家族で夢山荘に泊まってきたばかりの川西敏則さん(42)は、
「そうやな。ここには人がつながる姿があるんや。
一人なら夢は叶わんけど、みんなでならやれる。
それと何でも気楽に話せて、楽しんでいける生き方ができる」

隣で高野さんが「人間本来の楽しさを追求できるんやな」
杉村さん「うん。心を開いて気楽に遊べるところやなぁ」

奥埜晃央さん(40)
「ごく普通のサラリーマンがこんなことができるというつながりがすばらしい。100万円出して別荘つくろ言うても、のってくる人て、まずおれへんで。この人たちとやったら何でもできるような気がするんや」

長屋政志さん(41)
「このことを子どもたちに伝えてやりたいなぁ。やってることの半分近くは遊びやけど、子どもに生きざまをキチッと見せていかなあかんしな」

誰かが言った。「ここは人のつながりを育むところや」

第4話 取り組み一年

3月4日、金曜日、夜8時。

仕事を終え、夢山荘に向かう。取材のためわざわざ計画してくれたものだ。
北野田の街を出発し、二時間あまりで夢山荘にたどり着く。
中国自動車道を走り続け、「夢前川を越えれば、もうすぐですよ」。
揖保川に沿って進み、山道へ。

うっそうとした杉林と残雪の中、夢山荘が静かに佇んでいた。
フローリングの床に畳を敷き、こたつを置いてみんなでアツアツの鍋をつつく。

BGMは「鍋のときはこれに限る」(駄田井さん)喜多郎の『シルクロード』。
ゆったりとした吹き抜けの空間にシンセサイザーが響く。

ボリュームいっぱいにCDを楽しむなんて都会生活ではのぞめないこと。

鍋に材料を入れる高野さんのしぐさは手慣れたもの。
家でも料理を?「もちろんやがな」。
話題は今年社会人になる高野さんの長女のこと。
杉村さん「嫁に行くときは淋しいやろな」。「いかせへんもん」と高野さん。

夢企画は昨年二度わらび座公演を取り組んだ。

3月に大阪市内と堺市内でアンサンブルひまわりを三公演。
12月には「わらび座を育てる会」のメンバーとして堺市民会館と栂文化会館で舞踊劇「津軽」。

取り組み期間ちょうど1年。

「面白かったなぁ。それが財産や」と駄田井さん。
彼は"一生懸命"とか"がんばる"という言葉は大キライ。

それにしても、自分たちの地域・北野田を越えて堺市、そして大阪市内や泉北の人々を対象にした文化活動に取り組もうとしたのはなぜ?

ニヤッと笑って駄田井さん「男のやさしさや」。
続けて杉村さんが「それと、ロマンやな。それが夢を育てるんや」。

第5話 遊び感覚で

翌朝、山荘いっぱいの杉の香りの中で目が覚める。
5つの窓の向こうには緑が広がり、森林浴気分。

朝食のあとはそれぞれ自由に時を過ごす。
駄田井さんはビール片手に大好きなホイットニー・ヒューストンのCDを聞き、
最近めきめきテニスの腕を上げている高野さんは伊達公子の本を読み、杉村さんは散策に行ったり、横になったり。

何にも、誰にも気がねのない時間と空間がここにはある。

「お父さん文化してますか」という特集タイトルに、「"文化"なんてしてへん。楽しんどるだけや」と話す夢企画の人たち。

自分も楽しく、みんなも楽しく、力を合わせながら、遊び感覚で何でもやっちゃうのが夢企画。

「ここだけにとどまっていたのでは発展はない」
と次へのプランを練っているところ。

宮崎の詩人・本多寿さんの詩の一節に、
「夢を見るのが人間の証(あかし)」という言葉がある。

夢企画のお父さんたちにその言葉をプレゼントしたくなった。

著/ 菅野紀子